長く使える、使って欲しいと宣言する鞄。ディケイド

10年という単位を表す「ディケイド」を名乗るバッグ。10年は使ってほしいというメッセージ

江戸時代の日本では、モノは修理しながら長く使うのが当たり前。鍋や釜の穴をふさぐ鋳掛け屋、緩んだ桶や樽を締め直すたが屋、古着屋から傘の再生屋まで、リサイクル産業はまさに百花繚乱だった。こうした精神は美徳のように語られるが、少ない資源を効率よく使うのは極めて論理的かっ必然的。つまり昔の日本人は、当たり前のことを当たり前にやっていただけともいえる。ただ、かっての日本人の手で作られたモノは、確かに壊れにくく、修理しやすく出来ていた。

手間を惜しまず、シンプルに作られた日用品は、使う人の手にもよく馴染んだことだろう。そうしたモノに愛着をもち、長く使いたくなるのも、やはり必然といえるのではないか。ひるがえって現代。愛着をもって長く使えるモノは、身の回りにどれだけあるだろう。鍋や皿を修理してまで使う人がどれだけいるか。 ましてやガジェットや洋服ともなれば、せいぜい数年使えばいいところ。 それこそ江戸の頃は着物や下駄も修理して使ったものだが、現代でそれをやろうと思うと、場合によっては新品を買うより値が張ってしまう。

第一、デザインが古くなる。そう考えると、10年使えるモノはごく限られそうだ。しかしである。ここに1 0年という単位を表す「ディケイド」を名乗るバッグがある。つまり1 0 年は使ってほしいというメッセージ。裏を返せば、「1 0年使えますよ」という宣言とも受け取れる。手にしつくり馴染むグローブレザーをパッチワークした、シンプルで飽きのこないデザイン。つい”職人技”などと定型句で語りがちだが、単に技術だけではなく、コンセプトやデサインのすべてにおいて自信がなければ、この名は名乗れまい。

すっかり使い捨て文化に慣れてしまった現代の日本人も、近頃は少し江戸のリサイクル精神を取り戻しつつあるように見える 。 その前提となるのは、長く使いたくなる真摯なモノ作り。このバッグからは、そんな想いと自負も読み取れる。カウハイドにオイルをたっぷり染み込ませた、ソフトでコシの強いグローブレザーを使用。 パッチワーク状の切り替えで上品に仕上げ、タウンからトラベルまで幅広く使えるポストンバッグ。長く使うことで生まれる味わい深い表情も魅力。
W44XH XD19cm。¥39,960

2015年6月「HORLOGERIE]本誌より引用(転載)

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