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時を経て、いにしえの証人となる。

時の流れを感じながら、いにしえの都奈良を歩く。

奈良には「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている神社、寺が多く残されている。その中で春日大社を目指して苔むす大樹、灯篭が立ち並ぶ参道を行く。人が行き交うその道には、多くの鹿がお辞儀をくりかえして、持て成してくれる。何かを媚びるように無心に首を振る。媚びずに巻物を加えて手水(てみず)を流し続けているのは金属で出きた、手水所(てみずしょの「伏鹿」(ふせしか)である。

老いた雄鹿がいる。媚びず遠くを見ている。伝統行事の「角きり」で幾年も自慢の角を落とされた彼の顔はそれでもどこか凛としている。

「奈良の鹿」と「人」。その関係には辿ることが容易ではない長い歴史の変遷がある。

奈良の鹿は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された『万葉集』に詠まれ、このころにはすでに人との深い関わりが始まっている。

春日大社767が創建されたとき、主神の建御雷命(たけみかづちのみこと)は鹿島神宮から遷る際に白鹿に乗ってきたとされて、神鹿(しんろく)と尊ばれるようになる。氏社参詣(うじやしろさんけい)する藤原氏崇拝の対象となり神の使いとして崇め、鹿に出会うと輿(こし)から降りて挨拶したとされている。これを習って鹿もお辞儀の習慣を覚えたという説があるのは、庶民の空想だとしても、鹿との関わりを親しみを持って表現したものだ。

春日大社は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために創設された神社(旧称は春日神社)で、本殿は4棟並んで立っている。第一殿に武甕槌命(たけみかづち)、第二殿に経津主命(ふつぬしのかみ)、第三殿に天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第四殿に比売神(ひめがみ)が祀られており、拝殿(はいでん)はなく幣殿(へいでん)の前で参拝することになるが、初穂料(はつほりょう)を納めることで特別に本殿前の中門から参拝することができる。

創建以来、本殿の位置を変えずにほぼ20年に一度建て替えもしくは修復を行い御神宝の新調を行う「式年造替」(しきねんぞうたい)を行っている。

60次式年造替が平成27年(2015年)から平成28年(2016年)にかけて行われている。

やがて神仏習合(しんぶつしゅうごう)大和国守護だった興福寺からも神鹿として厳重に保護されることになり、傷つけた場合は厳しい処罰の対象となる。しかし、人に危害を加えることも度々で、特に雄鹿は角が最も大きく、鋭く発達する繁殖期には凶暴性が増し危険であるため、江戸時代には人への危険防止と樹木の保護を含めて秋に「奈良の鹿の角伐り」が行われるようになる。そして今尚、人との共生のための、古都奈良の秋を彩る伝統行事として残され続けている。

寺の中心的な堂として創建された中金堂(ちゅうこんどう)は、創建1300年の2010年に新・中金堂として再建が着工。201810月に落慶され、創建当時の美しい姿が再現された。

時はある意味残酷な面を持ち、時は未来へ進むための光と感じることもある。

子鹿が 階段の前で立ち止まり、先を一心に見据えて動かない。心無い観光客の悪戯に身を案じているのか、その先に無邪気な楽しい未来を感じているのかは分からないが、まだ、自分が時とともに老いていくことを知ることがないのは確かである。

 

お水取り(修二会)で知られる東大寺二月堂に立つ。眼下に三月堂、大仏殿があり、遠くにかつて都であった奈良市街が映る。

奈良時代(8世紀)から、二月堂も興福寺も、春日大社も、そして国の天然記念物となった奈良の鹿たちも、この街に住まう人、訪れる人を見守ってきた。いわば「いにしえの証人」なのである。

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