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時の回廊をくぐる。「伏見稲荷大社」

稲荷信仰の原点がここにある。

日本全国に約3万社あるといわれる「お稲荷さん」の総本宮が伏見稲荷大社。その本殿には、主祭神である宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を中央の下社に、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)を中社に、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)を上社に据え、明応8年(1499年)に合祀された田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)と五柱の神が祀られている。

一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰の3つの峰が連なる稲荷山が神体山である。かつての古墳で、それぞれ「下ノ塚」「中ノ塚」「上ノ塚」と呼ばれていた。

稲荷の語源は、山城国風土記の逸文にはイナリを「伊奈利」と記されているが、イナリはイネナリ(稲が生った)という解釈から「稲荷」の字に転じた(他説もあるが)とされている。

人の生活の根源であった稲を天地の霊徳の象徴として今日まで崇められてきた信仰の起源は、祭神である稲荷大神が稲荷山に鎮座した奈良時代をさらにさかのぼると考えられる。

稲荷山に住む神使。

「稲荷大神」の神使(しんし)は狐とされている。神使というのは神の使い(使者)として神の代わりに神の意思を現世に伝える存在とされ、眷属(けんぞく/神の侍者・従者)とも言われている。神同様に崇められていることが多く、眷属神として祀る神社もある。

神使の多くは、その神に縁のある動物または想像上のいきものである。天満宮の「牛」や住吉大社の「兎」、春日大社の「鹿」に日吉大社の「猿」、伊勢神宮の「鶏」などあり、伏見稲荷大社は「狐」である。

稲荷の神が「食物の神」御饌神(みけつかみ)で、その「みけつ」がのちに御狐(おけつね)、三狐(みけつね)に転じ狐になったという。しかも「白狐」(びゃっこ)である。神様同様、人には見えない(透明)ので白い狐ということらしい。

金狐や銀狐などもいるがこちらは悪霊とされ、正霊が白狐として知られている。ちなみに、弁天様の使いは「白蛇」とされているが、赤い目の白蛇のみが真の使いと言われている。

伏見稲荷の狐には、稲穂や巻物、玉や鍵をくわえたものがいて、それぞれに意味を持っている。稲穂は五穀豊穣、巻物は知恵、玉は稲荷大神様の霊徳の象徴、鍵は稲荷大神の御霊を身につけようとする願望であるという。

中でも、玉と鍵は陽と陰、天と地を示すもので万物はこの二つの働きによって生成し生育することを表しているとされ、「鍵玉信仰」というものが生まれたようだ。

ところで、狐がなぜ油揚げ好きでなのか?諸説あるようだが、穀物をネズミから守るためネズミの天敵である狐を崇めて、初めは「ねずみの油揚げ」献上していたというのである。

(狐狩りをする時、狐の好物であると思い込み「ねずみの油揚げ」を罠として仕掛ける者もいたらしい)しかし、神様に殺生したものを捧げるのは縁起が良くないと、いつしか豆腐揚げになったという。

庶民にそれが浸透し、商売繁盛の神様としても知られるようになったころ、中に酢飯を入れて「いなり寿司」として最初に売り出した寿司屋は、なかなかの商売上手と言わざる得ない。

千本鳥居の回廊。

稲荷信仰は、もともと雨乞いや止雨と共に五穀豊穣を願うことから起ったとされているが、平安時代には良縁を願ったといい、秀吉は母親の病気平癒の願掛けをしている。

その後、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全など、時代時代の人々それぞれの願いに合わせた「ご利益」が得られる神様となっていき、全国津々浦々に至るまで広く信仰されるようになった。

稲荷神の崇敬は朝廷のほか、町人や商人などあらゆる人々によって行われたが、特に商いの成功を祈る商人には人気があった。江戸時代になると、祈りが叶うとその礼として本社に稲荷大神の力である豊穣を表す色と言われる朱塗りの鳥居を稲荷山に奉納する習慣が主に商人に広まり、信者から奉納された鳥居は1万基を超える。千本鳥居と呼ばれる所は狭い間隔で多数建てられ、今では名所となっている。

やはり、鳥居をくぐるときも作法があるようで、参道にあるので左側を通る。参道の中央は「正中」という神様の通り道だからそうだ。そして、鳥居をくぐる前には軽く一礼する。この狭い間隔で無数に立ち並ぶ鳥居にはどのようにお辞儀すれば良いのだろうか・・・。

時の流れを感じながら鳥居をくぐる。

稲荷山には鳥居だけでなく、数えきれない稲荷社と祭神が存在する。「お塚」と呼ばれるもので、稲荷大神を信仰する人々が思い思いの守護人の名を付け、石にその名前を刻んで奉納したものである。自分のお稲荷さんとして独自に信仰している。

奥社奉拝所から先にある参道には、人々が石碑に「白狐大神」や「白龍大神」などの神名を刻んで祀られた小さな祠の「お塚」があり「お塚信仰」と呼ばれている。「金玉大神」というものもあるが、やはり金運を祈ったのか何基もある。

明治時代になってから急に増え、昭和になっても増え続けて、現在では稲荷山全体で1万基にも上ると言われている。

祭神である稲荷大神がこの山に鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこととされている。以来1300年を越えて神体山であるこの稲荷山が、時代時代の人々の信仰心の変化を受け入れ続けてきた。その証の一つがこの千本鳥居。

朱に染まる回廊をくぐる。それは時の回廊、タイムトンネルのように感じる。

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